1613年10月28日

 本日から405年前の1613年10月28日(慶長18年9月15日)。仙台藩主伊達正宗の命を受けた「支倉常長(はせくらつねなが)」ら一行180余人を乗せた慶長遣欧使節船「サン・ファン・バウティスタ」は、現在の石巻市月ノ浦(※石巻市雄勝との説もある)から遥かローマを目指し出帆しました。

 慶長遣欧使節とは、政宗が仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えにノビスパニア(メキシコ)との直接貿易を求めて、イスパニア(スペイン)国王およびローマ教皇のもとに派遣した外交使節です。

 領国の独自性を保ち、海外貿易の機会をうかがっていた正宗は、幕府によるスペイン、メキシコ(ノビスパニア)との交渉の停滞や宣教師ソテロの勧めもあり、「奥州王」として使節派遣を実現し、仙台をメキシコとの貿易拠点にしようと目論んでいたと言われています。

 

 1993 年、宮城県は慶長遣欧使節団の出帆380年にあたり、サン・ファン・バウティスタ を復元しました。復元船は、「宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)」で公開され、多くの見学者を迎えておりましたが、東日本大震災の津波でマストが折損。一時は解体の話も出ましたが、カナダから寄贈された木材でマストを修復し、大震災から2年8ヶ月を経て、2013年10月末に、ようやくその勇姿が石巻の海に甦りました。

 また、休館を余儀なくされていたサン・ファン館も同年秋、慶長遣欧使節出帆400周年の節目に一般公開再開の日を迎えました。

 残念ながら、老朽化もあり現在は船体内部の見学はできませんが、ぜひ足を伸ばしてそのスケール感を味ってみてください。

 サン・ファン館